myfamの実話録

最悪を知るからありふれた幸せを知ることができる

13.母親と家庭内別居

高校生の頃のこと、母親に言われた忘れられない言葉がある。

 

告白され、とても優しいその男の子とお付き合いをすることになった。

 

母親はそのことを知り、表情が変わった。

 

そして一言、こう言った。

 

「あんたの彼氏くらい、私が手のひらで転がしたらイチコロでこっちになびくわ」

 

16歳の時だった。

 

母親はずっと水商売でモテてきた。女としていかに魅力があるのか、それだけをずっとずっと幼い時から言い聞かせられてきた。

 

だから、私は母親には敵わないと、そう思って育ってきた。

 

母親にならきっと取られてしまうだろう。私なんかより、母親の方が女として魅力がある。母親のようになりたい。母親はすごい人間で、魔性の女なんだ。

 

こう、本気で思っていた。

 

そしていかに魔性の女、母親が魅力的なすごい人間なのかを植え付けられ、崇拝させられていた。

 

「ママはすごいね。モテモテで可愛くて綺麗で頭もよくて‥」こう言うと母親は「AB型だし、選ばれた特別な人間なのよ。A型のあんたはむり。」

 

そう言い放つのだ。

 

「A型の女は嫌いよ!」

 

母親の口癖だった。

 

AB型の血液型は賢く頭の回転も速く優れた存在であると謳歌していた。母親はAB型だ。

 

対して、私はA型だ。

 

「A型の女は陰湿で性格悪いやつ多い。A型の女嫌いよ!」

 

私は自分の血液型を呪った。

 

ぐずで、ノロマで、要領も悪くて‥A型で‥こんな私はだめな人間だ、劣っている人間なんだ。

 

あぁ‥神様できることなら血液を取り替えたい。骨髄を変えれば血液型を変えられるならいいのに。そんなことはできないのだと調べて知り絶望した。

 

 

こう言って母親はずっとずっと私を踏み台にして自分をいかに優れている人間かを教え込んできた。洗脳してきた。

 

 

晃の離婚が決まった時なぜかこのことをふと思い出した。

 

私は今まで母親を信じきってきた。

 

母親のすることが全て正しいと。

 

だけど‥それは果たして本当なのだろうか?

 

分からない。

 

この時の私はなにがおかしくて、なにが正しいのかわからなくなっていた。

 

だけど母親のすることに違和感を感じ始めていた。

 

 

ーーー

 

晃の離婚後母親はお店に行くことがかなり少なくなっていた。

 

「店はもう慣れてきただろうしあの子がやればいい」

 

姉は1人でスナックを切り盛りしていた。まだオープンから一年もたっていないのに、だ。

 

母親は、兼ねてからドイツ車に乗りたいと口にしていた。ある日、衝撃の一言が私を貫いた。

 

「ねぇ、車は自分の顔でしょう?前から言ってるけれど。お店をしてると、いい車に乗らないとメンツがたたないじゃない?」

 

嫌な予感がした。

 

「でも、私はローン組めないのよ。カード飛ばしてる関係で。あの子(姉)はこの仕事してるんじゃ高額ローンは組めないし‥。あんた看護学校卒業したら私の欲しいドイツ車のローン組んでね」

 

 

ドイツ車?

 

ローン?

 

私はかなり金銭面にはシビアな性格だ。

 

ローンというのは、軽々しく口にされているが、実質借金と同じである。

 

保証人というわけでなく、私が組むのであればそれは実質私の借金。

 

私は将来設計があった。

 

自分も頑張ってきた分自分の欲しい車に乗りたい、家だって欲しい、貯金もしたい。

 

そんな、自分で自分のものを揃えていく夢があった。

 

そして現在まだ看護学校を卒業してるまでもなく、また精神的、身体的に持たなければ卒業できない可能性もある。

 

不安で仕方ない私を助けてくれているわけでもない。

 

口を開けば「嫌な顔するな」「私の前では笑顔でいろ」「お前の選んだ道、しんどいとか私には関係ない」

 

そう言ってサポートしてくれているわけでもない。

 

 

それなのに、看護師になったら、その名前だけを利用しローンを組ませようとする‥

 

搾取

 

これは搾取だ。

 

都合の良い時に人を利用する。

 

私はそんな母親に言葉を失ってしまった。

 

黙って固まっている私の態度は、母親の逆鱗に触れた。

 

「なに黙ってんの?今まで誰に育ててもらったと思ってる!?ローンくらい組むって即答できないわけ?!信じられないわ!お前は思いやりのカケラもないやつ!!!!!私が養ってやってるのに!!!もういい。お前なんかしらない。家には住ませてやってもいいし家賃もとらないでいてあげるけど、一切今後お前のことはなにもしないからね!」

 

 

母親は、そうまくしたてるように、私に言い放った。

 

「ちょっと‥おちついて‥私も将来設計とかあるし‥そんな急にローンとか言われても‥」

 

そう言いかけるが母親は頑なに「お前みたいな思いやりのない人間しらんわ。価値もない。とにかくこれから部屋だけはいてても許してあげるけど一切のことは関与しないので。」

 

そう言い放たれ、私は「わかりました」そう答えるしか他なかった。

 

 

ーーー

 

 

その後の生活は玄関付近にある私の自室とトイレのみ行き来する生活だった。

 

一切の言葉の交わりはなく、毎日怯えて暮らしていた。

 

ごはんを買う余裕もあまりないため、いつも空腹だった。

 

お昼休憩はみんなお弁当を食べていた。私は奨学金があるとはいえ、コンビニでおにぎりを二日に一回買うのがやっとだ。

 

みんなは、お弁当のおかずを一つずつ分けてくれた。

 

卵焼きがとても美味しくて涙が出た。

 

どうして?みんなお母さんがいる‥お母さん‥お母さん‥お母さん‥

 

私にはお母さんはいない。

 

私にお母さんと呼べる人間がいたことは、産まれてからただの一度もなかったんだ‥。

 

私はやっと、気付いた。

 

いつだって、私にあったのは母親という存在ではなく支配者という存在であったことに。

 

ごはんも食べる余裕はない。だけど学校へ行き勉強して、自室に帰り勉強して‥お腹は減る。

 

そんな時リビングから聞こえるのは、母親と晃の笑い声と美味しそうな料理の匂い。

 

孤独と空腹

 

普段料理なんてしないくせになぜ?私への当て付けなのだろう。

 

こっそり洗濯した部屋干しの匂いが鼻をついた。鼻がツーンとする‥

 

「あれ‥?」

 

気付くと私は泣いていた。

 

ツーンとしたのは、涙のせいだった。

 

また、私が母親に媚びればすむ話だったのだろう。「ママはすごいね、ママのために何だってします」そう言っていれば今日食べるものに困ることはなかったんだ。

 

だけど‥

 

19の冬、私もまた今までの自分とは、変わり始めていた。

 

ただ言いなりでいるだけの人形ではいられなくなっていた‥

 

 

ーーー

 

言葉を交わさなくなって、家賃は発生しないものの自室で滞在することのみ許された家庭内別居が始まって1ヶ月が経過していた。

 

学校、勉強、単位、実習‥

 

食事をろくに取れなくなり、1ヶ月で私の体重は7キロも減少していた。

 

頬はこけていた。

 

そんなある日のことだった。

 

一切これまで、言葉一つ交わさない状態だった母親がスキップをしながら私の自室前にきたのが分かった。

 

「今日、私すごく機嫌がいいの。だから、あんたをごはんに呼んであげるわ」

 

嘲笑うように母親は言い放った。

 

私は、誰が行くものかと心の中で叫んだ。あの母親のことだ。またなにか企んでいるに決まってる。

 

私は今の状態を友人に相談することにした。

 

友人は私の話を聞き、言った。

 

「でもそれって、お母さんが折れてるのかもしれないよ?自分から謝るのはできないからごはんに呼んで仲直りのきっかけを作ろうとしているんじゃない?」

 

たしかに。

 

言われてみればそうだ。

 

私は人を疑う癖がついてしまったようだ。恥ずかしい‥

 

そうだ、きっとそうだ。

 

仲直りのきっかけを作ってくれようとしたんだ!!ママは‥。

 

 

私は言った。

 

「でもこわい‥」

 

友人は、私を諭すように、これでいかなかったら、仲直りのきっかけをくれてるのにいかなかった私が悪くなるのではないかと言う。

 

たしかにそうだ。

 

意地をはってもし私が行かなければ、誰が聞いても私が悪くなるだろう。

 

 

「わかった、頑張っていってくる」

 

私は1ヶ月ぶりに自室から、リビングへと足を進めた。