12.娘はみた。晃という男と母親の不倫、妻との修羅場
高校を卒業後私は看護学校に進学した。
もちろん、お金は全て自分で貯めたものだ。
そして、看護学校の学費も奨学金制度を利用し自分で全てまかなった。
看護学校は想像を絶するほどの大変さだった。
先生は看護師免許を持つものが教員免許を取り学生達に指導するのだが、私が入学した学校はとても厳しく人間性を否定されるような学校だった。
バイトはもちろん禁止、お洒落もだめ、高さのある靴はだめ、外見身なりともに地味な服装。
そして、気に入らない生徒があると精神的に痛めつけ、実技テストに合格させなかったりと先生に嫌われると学校を辞めるしかないようなそんな環境であった。
また、一週間に2〜3回は進級に響く大切なテストが頻繁に行われ毎日がテスト期間のようなものであった。
60点以上でなければ、単位を取れずに留年である。
何年も留年を繰り返している人もいた。しかし最高でも6年留年すれば退学だ。
絶対に単位を落とすことはできない。
徹夜をすることもざらにあった。
慣れない環境、精神的にも身体的にもとても苦痛だった。
そんな私は家で笑顔でいることができなくなっていた。
母親はそんな私をみて、「家で嫌な顔するな!気分悪い!お前が決めたことだ」と言うだけだった。
そんなある日のことだった。
母親がいきなり、私に話があると言った。
話の内容は、姉が離婚を考えており、夜の水商売のお店を開きたいと言い出したというのだ。そして、母親はそれをバックアップする形で一緒に夜のお店を経営するつもりであるということだった。
姉には私が中学生の時にできた子とその後産まれた子の二人の子供がいた。
上の子はまだ5歳だ。
子供達はどうするのかと問うと、姉がお店にでている間は母親の母親(私にとっては祖母)が面倒をみるということだった。
「憲くんはそれを知っているの?」
私は恐る恐る尋ねる。すると母親の顔がくもり、言いにくそうに言葉を続けた。
「店をやるなら憲は別れると言ってる」
夜の水商売は、男性のお酒の相手をするお仕事だ。
彼女や妻が夜のお仕事をするのを理解できる男性は少ないだろう。
私は水商売を嫌っていた。女を売る仕事は母親を女にする。それが、子供にとってとても辛いことを一番よく知っていたからだ。
母親は言う。
「水商売は私の選んでやってきた道。悪く言うことは許さない!私は誇りに思ってる」
水商売をしている人を否定はしない。人にはそれぞれ色んな生き方があるだろう。
だが、それを誇りに思うのは少し違うのではないかと感じる。
「それに水商売で私はずっと人気ナンバー1だった。自分の店を持つことは夢だった。あの子が店をやるっていっても私がママとしてやるようなもの。夢が叶うなら、憲と別れるわ」
母親は憲より自分の夢をとった。
数日後、憲は家を出て行った。
一緒に暮らし、9年の歳月が経過していた。
9年の絆はあっという間に砕け散った。なんとも、もろいものだ、人と人との絆は。そう思った。
憲はこの時30代後半になっていた。また、母親は再婚を頑なにしなかったため事実婚状態であった。憲と母親の間に子供はできなかった。
理由は母親が子宮内膜症という病気を患い妊娠しにくい体になっていたためである。
憲の9年間は一体なんだったのだろう。こんなにあっさりと捨てられた憲に少し同情した。
母親は自分の都合の悪いものは簡単に切り捨て、排除する。
それがどんなに身近な存在でも。それがたとえ血を分けた自分の子供であっても。それを嫌というほど、思い知らされる出来事がこの後起こることになる。
ーーー
母親と姉はその後夜のお店の開店準備をし、早々にスナックをオープンさせた。
お客さんの入りはよく、すぐに地元で有名なスナックになった。
忙しい時など、私は洗い場などを手伝わされていた。もちろんお客さんと話すこともある。看護学校の勉強に、テストに、バイトに、そして家の手伝い。
私はパンクしそうだった。
しかし嫌な顔一つしようものなら、母親に「養ってやってるのになんだその顔は!」と言われてしまう。
高校を卒業しているのに、進学を決めた私が母親にとっては穀潰しだったのだろう。
テスト前で疲れている時、投げかけられる言葉は卑劣な言葉ばかりだった。
周りの子たちはお母さんに励ましてもらっていた。元気をもらっていた。おいしそうなお弁当を持ってきていた。学費を出してもらっていた。
私は?
考えれば辛くなる。私はやるべきことをやるしかない。そんな一心で私を奴隷のように扱う母親の言葉や行動をずっと耐えていた。
夜のお店をはじめてから、母親は変わった。
否、また元に戻ったと言う方が正しいだろうか。
憲と暮らし始めてから数年たち落ち着き始め、その後別れるまではその前と比較すればだが、少しは女としての子供への攻撃がましであったように思えた。
しかし、44歳で女として再デビューを果たした母親は‥また、以前のきつい女に戻っていた。
言うことなすこと全てが、きつく、激しくなった。人を利用し騙していく職業だ。
母親の攻撃性は厄介者の私に全て向けられた。
ーーー
その後母親は幾人かの男性と関係を持っていた。
お店で出会った男性達だ。しかし母親が本命といえるほど夢中になれる人はいなかった。
しかし、最近母親を想いお店に通っている男性がいることを知った。名前は晃(あきら)。
年齢は、母親よりも一回りも年下の男性だった。職業は建設業。私と母親のちょうど間くらいの年齢だ。
母親には男性を魅了するなにかがある。それは母親のいう魔性の女‥ということなのだろうか。しかしそんな女は女にとっては敵でしかない。また、嫌な存在でしかない。
晃は、なんと妻子持ちだったのだ。
32歳の妻子持ちの男が水商売の年上の女にハマる。なんて、滑稽な話だろう。
子供は3人。まだ上の子は10歳だという。
晃は毎日お店にきては遅くまでお店にいた。無口でおとなしいが、お酒が入ると母親にくっつく他のお客さんに殴りかかる暴力的な一面があった。
母親はこの男と関係を持った。
お店の終わりに家に招くことが何日も続いた。朝帰りなんて、しょっ中だ。妻は何も言わないのだろうか‥?
男なんて、こんなものなんだ。所詮大切な妻や子供がいようと、外の女へ走る。そしてそれを相手の女は悪びれもなく、高みから嘲笑っている。
お前(妻)の魅力がないから他の女に男(旦那)がなびく‥と。
女というものが怖くなった。男というものが信じられなくなった。私の中で人間不信は酷くなるばかりだった。
そんな状態が続いたある日のことだった。
ピンポーン
インターホンのチャイムが鳴る。
母親と晃はリビングにおり、私は自室にいた。
チャイムが再び音を奏でる。
「?」
時間は夜の10時を指した頃だった。こんな時間に来客なんて訪れることは滅多にない。
私が不思議に思っているとなにやら二人が話す声が聞こえる。
「出た方がいいんじゃない?」
「いや‥」
どうやら、母親が晃に玄関のドアを開けるように言っているようだ。
ピンポンピンポンピンポンピンポンー!!!
チャイムが連打され、叫び声がきこえる。
「晃!!お願い!!出てきて。もうわかってるんだよ!ここにいることは!!!!!!」
‥玄関の先にいる女性‥。それは、晃の妻だった。
響く泣き声。
無視し続ける晃と母親。
私は身震いした。
幸せな家庭の壊れる瞬間を垣間見た。
そして、私の母親は被害者ではなくまぎれもない、加害者なのだ。
ごめんなさい、ごめんなさい。
私はとても可哀想なこの晃の妻に心の中でずっと謝った。
何時間そうしていたのだろう。
数時間してようやく静かになった。
晃の妻は諦めて帰ったようだ。
そして、その後晃と晃の妻は離婚することになった。最後まで母親から謝罪の言葉はなかった。
そしてこの男と母親は、晃の離婚後これまでの躊躇はなくなり、周りがみえていないかのように二人の世界にのめり込んでいった。