11.母親の二面性
虐待
近年ニュースなどでよく目にするワードだ。
なぜ虐待を受けている子供は親の元へ帰ろうとするのだろうか。
子供は親が絶対的存在で、恐れを抱いている。
また、それとは全く逆の、愛情といった感情もある。
母親が自分を傷つけるのは母親ではなく、自分が悪いからなのだ。
そしてまた、虐待する親というのは傷つけてばかりではない。
むしろ優しい時は女神のように優しく、甘やかせてくれるのだ。
だから、子供は混乱する。
本当は愛されている、自分が悪いから母親を怒らせる、もっといい子になればもっと愛される。
そういった解釈をするようになる。
虐待という言葉を聞いて、何日も食事を与えられないネグレクトや、体にアザができるほど暴力を振るわれる身体的虐待がまず目に浮かぶだろう。
そういった極端な虐待の場合、傍目からみて発見されやすい。
しかし、傍目からみてわかりにくいものは、とても厄介である。
これは虐待だとは、自分自身も断言できず、また傍目からみても一切気づかれることがないからだ。
そしてそんな親の場合、むしろ人当たりがとても良いのだ。
傍目から見れば八方美人という言葉の通り、とても良い母親にみえるのである。
こんな風に言われたと周りに話したとしても、「あんないい人が悪意でそんなことを言うはずがないだろう」「あなたの勘違いではないのか、受け取り方が悪いのではないか」「きっとしつけで厳しく言っただけで本当はあなたのことを思っている」と、こんな風に言われてしまうのだ。
外面がよい母親のしている悪意という名の躾は、私しか知り得ないのだ。
自分が全て悪いのだと、そう信じ切ってしまう。これは、とても不幸なことである。
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私が中学を卒業し高校生になる頃には、母親と憲の関係は随分と落ち着いていた。
一緒に暮らし始めて5年以上経過していた。
憲はバーテンダーの仕事は早々にやめており、土木関係の仕事のみで、私達を養った。
憲はパチンコが趣味で母親もまたパチンコ、パチスロにはまっていった。
憲が休みの日は朝から晩まで、憲が仕事の日は仕事が終わってからパチンコ店が閉店するまで、二人は毎日パチンコ店に通っていた。
そのため中学生の頃は晩ご飯はほとんど夜の11時をまわってからなにか出来合いものを買ってきてもらい食べるという生活だった。
お金をもらって、自分で済ませることもあった。
そんな状態だったので、高校生になるともっと自分のことは自分でしろというようになった。
むしろ、「義務教育でもないのに高校に行かせてやってる」と日々言われるようになった。
私は幼い頃から看護師という将来の夢があった。
しかし母親は「高校以上の学校なんていかせないから、行きたいなら自分でなんとかしろ」と言った。
私は高校三年間バイトをして、看護学校の入学金を一生懸命貯めた。
周りの友達は皆バイトしたお金は化粧品や服、そして遊ぶお金に使っていた。
私は三年間遊びにでかけることもなく、黙々とバイトをしてお金を貯め、看護学校は推薦合格を果たした。
入学金で100万円ものお金が一瞬にして消えてなくなった。全て汗水たらして時給680円で稼いだお金だった。
私は高校を無事に卒業した。
私の人生を狂わせる大きな出来事が起こることになることを、この時の私はまだ知る由もなかった。