myfamの実話録

最悪を知るからありふれた幸せを知ることができる

10.精神的虐待の脅威

母親に愛されていないということを知る言動は多くあったに違いない。

 

これまで、実に酷い言葉を浴びせられてきた。

 

だが、私は母親に一切、殴られたりしたことはないのだ。

 

身体的暴力は受けていない。

 

だからなのか‥時々わからなくなる。

 

これは、虐待ではないのではないだろうかと。私は大袈裟なのではないだろうかと。被害者ぶっていると母親に言われれば、そうなのではないだろうかと。

 

しかし、冷静に考えれば分かるはずだ。これは立派な精神的虐待だったと。

 

言葉というのは、時にナイフとなる。

 

怪我をしても浅い傷は治癒してしまうが、心に受けた暴力は、傍目にはわかることがなく気付かれない。そして癒えにくいという特徴がある。

 

 

「お前が死んでも何日かは考えるがそれ以降は考えないし悲しむこともない。私はその後は私の人生を謳歌する」

「お前は頭がおかしい」
「私が連れてきた人と仲良くできないんだったらお前が出ていけ」

「人の男と仲良く話すな!」
「誰のおかげで生活できると思ってる!家のことくらいお前がやれ!」 

「お前は黙って私のいうことを聞いていたらいい」

「ずっと私の前では、にこにこしてろ!嫌な顔一つするな!」

「うっとうしい顔するな!」

「どうでもいいからどこへでも行けばいい」

「養ってやっている」

「男は利用するものだ!女はそれを手玉にして転がせばいい!」

「私に意見するな!黙って笑ってろ」

「お前はなにをしてもだめな人間。黙っていうことを聞け」

 

 

これらは、全て母親が幼少期から私に浴びせてきた言葉の一部だ。

 

 

私は母親をなるべく怒らさないようにと、いつも腫れ物を扱うかのように接してきた。人の顔色を伺って生きるようになった。自分の気持ちを言えなくなった。

 

母親は、そんな言葉を浴びせることで自分の子供を支配し、コントロールしようとしていた。

 


だが、そんな母親にも優しい時はあった。それは、私が母親の思い通りに動いている時だ。


 

自分の機嫌が良いときは非常に優しいが、機嫌が悪くなると豹変し、鬼のように恐ろしくなる。私は、ずっと天使と悪魔がコロコロと変わるような母親の機嫌に振り回され続けた。

 

 

母親の精神的な支配により、自尊心を育むことができずに、心が不安定のままに身体のみが成長していき‥

 

母親からの支配や脅し、恐怖の植え付け、不必要な存在という無価値感の植え付けにより著しく自尊心は低下した。そして計り知れない信頼感の損失‥

 

 

私は、母親からの重圧により心の成長を止めてしまっていた。

 

従うことでしか、この環境には適応していけない。自分の意思を持ってはいけない。私にとって、母親は絶対的存在であった。

 

私は母親に気に入られるような自分にならなければいけないと必死だった。

 

 

ーーー

 

春、私は中学生となった。

 

 

私が中学生にあがって間もない頃、そんな家庭環境で育ちまともな精神状態を気付けるはずがなく、私の自傷行為は酷くなった。

 


夜に家を飛び出しあてもなく街を彷徨ったり、学校を休みがちになったりもした。

 


そんな私に、母親は「何があっても自分の責任だし好きにすればいい」と放任主義を貫いた。

 


まだ中学生。心は子供だ。

 


ただ、私は心配して欲しかった。だけどそれは叶わない。

 

私が中学二年生になり、姉は中学を卒業した。

 

 

そして、偏差値の低い高校に通った姉の妊娠が、わずか1ヶ月で発覚した。

 

相手は年上の、美容師見習いの男だった。姉は家を出て子供を産み、育てていくことを決めた。母親も何も言わなかった。好きにすればいいと。

 

 

私は、戸惑った。

 

このままでは、姉と同じような未来を生きることになるだろう。

 

母親に気に入られたい、私は母親がいなくては生きていけない、私には母親が全てだ。私は姉のような未来は考えられなかった。

 

 

この頃、私はいわゆる洗脳状態だった。

 

今ならわかるが、この時は私にとって母親に気に入られることが全てだったのだ。

 


非行に走り、相手にされないなら一体どうすればよいのか?

 


その結果非行とは真逆の、成績優秀を狙うことにした。ろくに勉強をしたこともなかったが、シャーペンをとり授業も参加するようになった。

 

今までだめだった成績はすぐに急上昇し、テストの点数も良い点数を取るようになった。

 


すると驚くことに、母親は上機嫌となった。

 

「さすが私の子だ。やっぱり賢い人の子は賢いわね。お前がいい成績だったら片親でも周りになにも言われなくてすむわ!」と鼻で笑っていた。

 

また、「シングルマザーで子供がデキ婚なんて周りに何て思われるかと思っていたけど、お前が勉強ができたら世間に育て方が間違えたとは言われない」と言われた。

 


私は母親の見栄のために良い成績をおさめたのだ。

 

 

その頃の私はそれを愛だと受け止めていた。


だがそれは、違う。

 

これは条件的な愛情であり、無償の愛ではない。

 

 

○○できるあなたが好き


○○だからあなたが好き


こういった好意というのは、あなたという存在が好きなのではなく○○できるあなただから、好きだということである。

 


このため、逆に解釈すると○○できない私は無価値ということになる。

 


○○じゃない私は意味のない存在

 

〇〇できない私は愛されない存在だという無意識下での間違った植え込みをされてしまっているのだ。

 


○○を勉強に例えるなら、こうなる。

 

勉強できる私は価値があり愛される=なにかのスランプなどで勉強ができなくなりテストの点数が以前より悪くなったといったことが起こると途端に自分は愛されない存在で無価値だから死んだ方がいい。

 

こういった極端な考え方をしてしまうことを0か100思考と呼ぶ。

 


それは、境界性パーソナリティー障害の私がまさしくその考えしかできないように、こういった些細なところから、もう私の人格は揺るがされてしまっていたのだ。

 


こうして子供を支配する毒親に制され生きてきたこの環境を精神的虐待といわずなんというだろう‥。