3.自画自賛は自己否定の裏返しである
幼少期、私は私自身をとても幸せな人生で、とても愛されており、そして恵まれていると思い込んでいた。
なぜなら、母親が私にそう言い聞かせていたからだ。
母子家庭に育った私は父親の顔さえ知らない
ただわかるのは、私の父親が養育費も払わないとても最低な人間で、存在するよりも存在しない方が格段に幸せだということだった。
なぜそのように理解したのか?
それは母親が幾度となく、私に言い聞かせていたからだ。
事あるごとに母親は、「父親なんていない方が幸せだ」「あんたの父親は最低な人間だ」そう言って父親を罵倒した。
私の中で父親という存在は、酷く悪のように思えた。
同時に周りに男性がいなかった女家系で、男性という存在にも不信感を抱くようになり、嫌悪感を抱くようになった。
母親は私が小学生になる頃から水商売の仕事をしていた。
私には2歳離れた姉がいた。
姉と私は母親がいない夜をまだ小さな体を震わせながら寄り添って過ごした。
母親の匂いのついた服を抱きしめて眠った。
きついカボティーヌの香水の匂いが私の母親の匂いだった。
今でも忘れることができない。
ーーー
水商売をしていた母親は、私達子供に決して男性を信じるなと言った。
そして、母親のように男性は手玉に取るものだとも言った。
「私は男性にモテている」「私は女として価値がある」「私は綺麗で魅力がある」「私は知性もあり賢くとても凄い人間である」
小学生低学年で、そんな母親の自画自賛を聞かされ続けた。
その頃私の中で母親は、崇拝すべき、目指すべき、尊敬すべき‥そんな人間であった。
女としての価値があること、それこそが全てであり、それこそが必要なことである。
私の脳は無意識下でそう覚え込まされ、洗脳されていった。
そしてそれと共に「私の子供だから賢くて、可愛いのは当然だ」「私の子供であんたは幸せ」「私はそこら辺の普通の母親じゃない。特別な存在だ」
そんな風にも言い聞かせられた。
私はシングルマザーで水商売の女の、子供。
だけど私はとても幸せな人間だ。だってそれはママに愛されているから。だってそれはこんなに凄いママの元に生まれたから。
夜が寂しくても私は誰より幸せだ。
幸せでなければいけない。
そうでなければ母親の子供ではなくなってしまうから。
そんな恐怖心をいつも抱え、私は幸せだと本気で思い込んでいた。
水商売をしていた母親は、金銭的には余裕があった。
好きなものは何だって買ってもらえた。
不必要なものだって、何だって手に入った。
店頭で並んでいる”モノ”たちはとても魅力的にみえた。
少し手を伸ばし魔法のカゴに入れれば何だって自分の物になった。
だけど家に帰って袋を開けたらもう魔法は消えていた。
店頭では魅力的だった”モノ”は、蓋を開けてみれば、ただの”ガラクタ”だった。
家にある”モノ”は、お金で買われた束の間の幸せと、虚しい夜、寂しい夜。
ただそれだけだった。
「こんなに贅沢な暮らしができているのは誰のおかげ?」
ママのおかげです。
私がそう言うと、母親は満足したように笑って、私を抱きしめた。
大丈夫、私は幸せだ。
ーーー
人間の認知や、情動は大部分が成長過程で形成されている。
考え方、捉え方、人間関係の構築に必要な素材の大半は幼少期の環境、そして他者との関わりがとても深く影響している。
そういった中で形成された認知や情動は、『人格』としてその後の人生に大きく影響を及ぼすこととなる。
私が感じていた幸せは果たして本当の意味での幸せなのだろうか?
それは母親の人間性、そして母親のエゴが招いた産物ではないだろうか?
そして、母親が幸せだと言い聞かせたその幸せは、母親にとっても本当に幸せ‥だったのだろうか?
それは本当は、自身の劣等感からきた自己否定を紛らわせるための思い込み操作だったのではないだろうか?
自分で自分を認めてあげなければならないほどの、他人に自分を認めてもらいたいという思い、すなわち”承認欲求”が母親に強くあったのではないか?
今、私は思う。
母親はとても弱く、そして未熟だったと。
だが、私は決して忘れはしない。
そんな”事”は、私達被害者の子供には、何の関係もない話である。
弱き者ほど、虚勢を張る
綺麗事を言えば、母親だって辛かった、母親だって弱かった、それを受け止めるのが子供だ。
そう言われてしまうのであろう。
だが、それは恐らく毒親を持たない、経験のない者の言う言葉だろう。
綺麗事は言わない
真実だけを事実だけを述べよう
自分の気持ちに嘘をついてはいけない
だから、私は思う
やはりどこまでいっても母親を許すことはできない
そしてこの母親を酷く愛し、そして憎んでいる